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語学講座

テキスト6月号を買ってきた。

(5月から始めたので4月号は持っていない)

何事も初級講座って初々しい気持ちになれる。

なんかね、声に出して発音など練習していたら、

気持ちが本当に若返るのだ。

テキストを全部覚えようと思わず、

一個でも単語など何か頭に残ればよし、

と、ゆるゆるのルールを作って続けようと思う。

番組の中で、こぼれ話など聞けるのも結構楽しい。

覚えられなかったら、また来年。

永遠に初級なのもいいかもしれん。。。

Caw5aopc

カフェテリア

cafeteria(カフェテリア) は何語? 答えは スペイン語。

libreria ・・・本屋さん。  pasteleria ・・・ケーキ屋さん。

泣くか笑うか

 

なんか、この頃、あの人には困ったなあ、と思い、

ほら、ええと、えー、あのー、うーん、だれだっけ?

名前が出てこないのだ。困っているのは確かなのに。

顔は出てくるんだけども。

その人が被っていた帽子の柄だとか、

声だとか、すぐにはっきりと思い出せるのに。

これまでに覚えた人の名前を収納した脳内の引き出しが

がたがたやっても開かなくなってきたのだろうか。

それとも、最近いろいろ忙しくて疲れ気味のせいかしら。

しかし年を重ねると、いいこともあるなあ。

そのうち、なにかに困っていたことも忘れてしまうんだろうか。

困っていることも頭がクリアな証拠だろう。

父の介護は数年に渡り、大学入学して、それからさらに

大学院にもいけるくらいの時間を費やした。

介護うつに近い状態まで疲労困憊しながら、父の葬式の後、

時とともに身体が回復してきたとき、あの時間はなんだったのだ!と

私は感情が混乱した。体力が戻ってきた頃、考える力も出てきて、

沈殿していた感情が、ひっくり返ってしまったのだった。

脳出血で、意識がぼんやりとしてしまった父の妄想を含んだ話を聞き、

着替えを手伝い、食事の支度をし、病院と自宅の往復の日々、

なんだったんだろう、あの時間は私にとって。

ただ思い出すと辛いので、私は、あの当時を例えば「イノウエ大学」と

命名してみる。わけのわからん教授は父。学生は私ひとりっきり。

人生とはなんぞやと、身体を張って教えてくれたのだ。

麻痺した身体で、呂律の回らない口で、言葉を発して。

そうしたら思い出した。昔の私が大好きだったもの。

中洲産業大学のタモリ教授!懐かしい昭和時代のあぶないギャグ。

子供の頃、あんなに面白い先生がいるなら、そこの学生になりたい、

とテレビをみながら口にしたこと。あほな子供だったなあ私。

なあんだ、そうか、私の夢が叶ったのかもね。

そう思ってみたらどうだ。苦しかった苦しかった、そればかりじゃ、

天国に逝った父に申し訳がない。病とギャグは紙一重だ。

不謹慎に聞こえるかもしれないけれど、実際に看護してみたら

それがよく分かってくる。笑うか、泣くか、選択するのは自由だ。

    

夏の準備

今年は緑のカーテンを広めに作ってみようかと思って。

節電でエアコンの温度をなるべく下げるため。

先日、暑さに強い品種の琉球朝顔の苗を植えた。

いつもの西側の窓には去年の朝顔の種から発芽して、

日に日に大きくなってきた。昔、ゴーヤーを植えてみたけど、

野菜なので、すごく虫が寄ってきて困ったので花にしてみた。

蔓を這わせるネットも早めに用意しなくちゃ。もう夏の準備に忙しい。

ミキサーで作る料理

この頃、暑くなって毎日の料理しんどいわー。

手抜きしながら冷蔵庫の中身ちゃんと使いきって、

お腹にやさしい、ミキサーで作る料理。。。

その1 

冷ご飯と水をミキサーにかけてから、

お粥の状態になったら鍋に移し、

顆粒スープなど加えて味付け。

鰹節などお好みのものをトッピングして出来上がり。

          

 

その2 

ミキサーの定番・野菜&果物の生ジュース。

本日は小松菜、りんご、豆乳、オレンジなど入れて。

身体によいと人気の生姜も、ミックスジュースのなかに

スパイス的に入れるものいいかも。

今年の夏は、生ジュース作りに、はまってみるか。。

 

Cazevobd

 

 

 

なぐっちゃろうかと思うけれど

母方の先祖は武士で楠木正成もいるとか、

親戚から伝えられているけれど私の手元には

証明できるものはない。とにかく武士だったことは

間違いなく、なんで今朝そんなことを思い出したかというと、

私の苦労も知らず絡んでくるおばかさんがいたから。

父方の祖父は柔道を生業にしていた人で、

心身共ものすごく我慢強いところがあったみたいだ。

たぶん本人は軽く叩いた程度でも相手は大怪我するからだろう。

父や私にも受け継がれた性質で、日常生活で細かい喧嘩はしない。

それはおとなしい温厚な性格のためだと思われているだろうけど、

(それも含まれるけど)たぶん父方の祖父から受け継いだものだろうと思う。

もし、私なんかが思いっきり殴ったところで相手はたいしたことないんだから、

我慢することもないと思うけど、母にもらった虚弱体質がブレーキをかける。

喧嘩するために体内のエネルギーを使うくらいなら、もっと、

前向きに行動するために使わなければなあ。

人一人分が使える時間はわずかなのだから。

それは文章を綴るときにも相通じる。

じぶんの不満や苛立ちだけ長々と文字に変換しても作品にはならないよ。

大学で勉強した難しい言葉並べ立てても、ちっともえらくないんだよ。

拙くていいから作品を作るのだという一番大切な気持ちが失われたら

何の価値もないのだ。

暑い日

急に温度が上がった。

昨日と今日の温度差が大きく、

二ヶ月先の季節が来た状態らしい。

ふらっとしながらも、なんとか家事こなす。

こんなときこそ栄養のあるもの摂らなければ。

じゃがいもをコンソメスープで煮てピューレ状に、

豆乳、牛乳を加え、弱火で煮た後、

隠し味に白味噌を少し溶かして、

和風ビシソワーズを作る。冷やして飲むスープ。

仕上げに刻んだ万能ネギをちらして出来上がり。

じゃがいものお味噌汁を洋風にした感じの味。

 

母の日に

 

母の日には、自宅での母の生活スペースの見直し、

部屋のちょっとした模様替えをした。

動線を考え、家具が手摺代わりに体の支えにもなるように、

配置を変えてみた。通販で頼んでいた家具も、ちょうど母の日に

届いた。(目隠し用のついたて)新しい家具も加わって、

これまでより快適で落ち着いた部屋になったんじゃないかな。

Cagenb9l_2

カーネーションの花を机の上に飾って。

歩くこと

何か考え事をまとめたいときは、ご近所を歩きまわる。

手足を動かしながら考えるときと、じっと座って考えるときと

同じものでも答えが変わってくる。

昼と夜と時間帯によっても頭に浮かぶものが異なってくる。

気持ちが滅入っていたら、月の裏側にいるみたいになるから、

じぶんが影の中に入っちゃってるな、と思ったときは、

一分一秒でも、出来るだけ早く抜け出す方法を探す。

私は、まず歩くことを実践する。歩き続けていたら、裏側から

月の光に包まれる場所へと、いつの間にか移動できているのを

何度も経験した。だから歩ける間は、できるだけ歩いていたいと思う。

ojo

ojo・・・ スペイン語で、目の意味。

o  が両目で、j は鼻。人の顔を表してる。

(発音は、オホ)

 

英語のeye も、同じ発想から出来た単語だって

中学の授業で習ったっけな。

スズメバチの小さな巣

先日、スズメバチが門の側の低木の繁みに

巣を作りはじめていたのを発見。

スズメバチは、巣を作っている場所に近づくとき、

移動で飛ぶときと違って、静かに、そっと飛ぶ。

すうっと音も無く、といったイメージ。

その飛び方を見つけたら、あ、巣を作ってるかも、

と私はスズメバチが飛んでいく先を目で追う。

昔、庭に台代わりに置いていた椅子の下にも巣を作っていた。

(はじめは低い位置に小さな巣を作って後から引っ越すらしい)

必ず、スズメバチが何処かに行ったのを確認してから、

巣を叩き落す作業にかかる。

毎年、巣を落とされても落とされても、あきらめようとしない。

また同じ場所に作ったりもする。

意外とスズメバチが嫌うのは、蚊取り線香の煙。煙自体が苦手のようだ。

煙をたいて、巣からハチがいなくなるまで気長に待って、駆除。

繁っていた枝葉も急いで切り落とす。すかすかの状態にして

今度は巣を作りにくい状態にしておく。

いつもは、ゆっくりした動作の私が、てきぱきと働く。

作業の途中で、スズメバチが戻ってきたらと思うと、自然そうなる。

袋のなかに枝を拾って詰め、ささっと掃除し終わったら、すぐ、

家の中へ。汗だく。ほっとしながら汗を流した後は倒れこむように

横になって、しばらく休憩。夕方、庭に出たとき、羽をふくらませるように

動かして飛ぶスズメバチの姿を見た。巣を作っていた場所のほうに

飛んでいく。飛ぶ姿から激怒している様子が分かる。

そんなこんなで私の日常は過ぎていく。

私は、じぶんではなんも出来ないというイメージみたいですが、

他人から思われているほど、実際そうでもない。

ワイルドだろう、ていうほどでも、ないけれど。

時計の針が

ときどき、ぼんやりした数秒の間に、

私は過去に戻る。時計の針が猛スピードで逆戻りして、

今じぶんが何歳だったかも忘れているときがある。

そんなとき私は別の視点で昔の時間を眺めたいんだと思う。

あのとき、こうだったああだったと一応の形で記憶したものを

書き換えていく作業が要る。定着した記憶をもう一度呼び起こし、

新たに付け足し、一部消去しながら更新していくべきだ。

過去を振り返るな、といわれるけれど、むしろ過去を見つめ、

今ここ(ヒア アンド ナウ)に、つなげていくことで、

時計の針は初めて、心地よくリズミカルな音をさせ

目の前で動き出すのだ。こちこち動いていたことに私は気づくのだ。

                   

祖父と祖父の詩について

言葉は、人が内包したものから芽生え、

滲み出すものだと思っている。

それが微かに害を与える毒を含んでいたとしても、

大勢の人が頷いてくれないものだとしても、

そうやって、出てきた言葉が詩だ。

私がいま欲しい言葉だ。

 

どこかで聞いた言葉、だれかが使っていた言葉を

つまみあげて、つなぎあわせたもの、それが詩だと大抵いわれる。

読んでくださいといわれたら読むし、

上手に言葉のパッチワークが出来ている技巧には

ちゃんと感心するけれど、本当に私が触れたいものとはちがう。

 

祖父の詩は、私が生まれる前、私の両親も生まれていなかった頃、

書かれたもので、当時を知らない私は、その時代を知るために

触れる等と口にするのは、傲慢で、おこがましい気がする。

私は貝殻みたいな空洞のなかで、祖父の言葉を

じぶんのなかに響かせ、ただ聞くことしか出来ない。

ちなみに、父方の祖父は同時代、海軍にいた。

母方の祖父とは両極にいた訳だが、私の立場で、

どちらがどうだ、などと言うつもりはまったくない。右だの左だの、

はっきり分類しなければ気が済まない人は、

分けてもらってかまわないけれど、私にとって、

同じ時代を生き抜いた人たちだったという思いだけだ。

それは脇の甘い、知識の足りなさから来るだけかもしれない。

それとも、もっと要領がよい女なら、祖父は大学教授でございました、

と、それだけ表に出して世を渡るんだろう。

祖父の言葉に触れると、皮膚につきささるような痛みが伴う。

だから、ずっと私は若い頃から眼をつぶって避けてきた。

今もまだ、書いておかなきゃいけないものは、まだ何も書けていない。

でも、胸の中で渦巻いている気持ちは消えることがない。

私が出来る祖父への供養は、こうやって、まとめきれない思いを

迷いながら綴っていくしかできないから

 

               

診察と

役人が怒鳴れば

ばらん、ばらんと

報知器が降りる

朝のひととき

  

     

拳かため

思いきり報知器を

たたき出す

音のよろしさだ

どの房も眞似る

  

        

時として

足で報知器を蹴り出して

子供のような

自分に苦笑す

 

                      

蒲団たたみて

すぐには仕事にかからずに

ゆうべの夢の

筋辿りみる

  

 

                 

思ひがけなく

あの同志の夢をみた

働いてゐた

唯、それだけの

かすかな愉しさ

  

           

朝っぱらから

行儀を叱りてゆき過ぎたり

めし食ふ時に

あぐらかくなと――

 

 

            

十等めしを

あますようになった

情なさに

体操をまた

始めんとおもふ

  

          

         

二寸角の

覗き窓から

逆に廊下を

のぞきみてゐる

役人は去ったかと――

 

             

             

憎しみに眼を据えて

壁を見てゐる

あさの雀は

屋根で鳴いてる

 

       

             

雑役が

吾ら独居の廊下掃く

その頃、壁に

朝の陽がくる

            

長いこと

手紙が来ないが

どうしたのか?

―― 一点の不安が

拡がりだした

あゝ、涯しなき

無用なる此の想念を

断ち切らんと

頭を振って

機織りつづく

 

 

        (「短歌評論」第三巻第三号、昭和十年三月号)

連休には

今日は暑いくらいの晴天。

博多の街は、どんたくの祭りで賑わう。

さて我が家は、母のノルディックウォーキング、

室内で練習し続けた成果が出てきたので、

本人の意思により、本日、初めて屋外を歩いた。

ゆっくり、ゆっくり、私が隣に付き添って出発。

目的地は自宅付近の親水公園まで。

慎重に、ちいさな障害物に気をつけながら進む。

歩道には母と私の影法師が並ぶ。

子供の頃には母の影が長く伸びていたのに、

ずいぶん母の体は小さくなったなあ、などと思っていたら、

「あら、あんた足が痛いの?」と母が私に訊く。

ばれたか。痛みの出ている方の足をかばいながら

歩いていたのが母にはすぐ分かったようだ。

「そうだよ。私も年なんだから、あちこち痛いよ」

歩きながら、私の方が心配されてしまった。

でも、とにかく、ほんのしばらくでも、

外を二人で一緒に歩いたのなんて、ひさしぶりで、

今日は、いい日だ。神さまに感謝しなくては。

連休の良い思い出になった。

他人からみれば、きっと、とるに足らない、

ちいさな、ちいさな思い出。

たった二人だけの、観客もだれもいないパレード。

ネックレス

Cacb35gj

昨日の夜、ふと思い出したのは、以前に糸が切れてしまい、

そのまま箱の中に置いていたネックレス。

半世紀近く前、女性史家の河野信子さんから、母が頂いたもの。

身に着けておられたのを、はずして手渡し、「あげる」と仰ったそうで、

以来、母の大切な思い出のネックレスになった。

そうだった修繕しなくっちゃ。急に思い立って、

手持ちのビーズの中から合いそうなものを足して

色と形の配置を考え考え、ようやく完成。

(黒っぽい色のビーズは私が新しく足したもの)

もともと、どんな組み合わせだったか、はっきり覚えておらず、

今風のビーズも混ぜてリメイクしてみた。

母はもうアクセサリー等つけられなくなったので、

これからは私が大切に使わせていただくつもりだ。

 

こんにちは

Buongiorno!      Guten Tag!      Bonjour!     Hola!

                                          

      

初心者

どの分野でも、初心者がやってしまうことは共通する。

以前に、植物園の一日無料講座を受けたとき、

聞いたお話のなかで「液体肥料をやる場合、大抵、一般の方は

一回の量が多過ぎるんです。つい沢山やりたくなるんですが、

ちょっと少ないかな位の量で、足りていると思って大丈夫です」

と強調されていた。液体肥料を水で薄めるときには、

いつも、そのことを念頭に置く。

肥料が多すぎると、かえって植物の負担になってしまう。

あのときプロの方から一言その台詞を聞いていてよかったと思う。

                  

ウォーキングでご近所を歩きまわると、この頃は家庭菜園の

立派な畑をあちこちで目にする。私は、時間的に、体力的にも

なかなかそこまで出来ないけれども、小さな庭に

好きなハーブを植えて、料理に使ったり、飲み物にしたり、

入浴剤の代わりに湯船に浮かべれば、いい香りがして、

家計の節約にもつながる。

(洗濯用ネットの中に入れて浮かべれば取り出すとき便利です)

 

初心者が陥りやすいのは、上級者に追いつき追い越そうと

むきにになっちゃうこと。楽しい気持ちが失われたら続かなくなる。

最近、初心者として始めたのがテレビの語学講座。

英語以外の言葉を単語からひとつ、ひとつ覚える。

道に落ちた葉を拾って、珍しいものを眺める子供のように。

地球上の言葉は一本の幹から枝葉のように広がったのだし、

どこかでつながっているのだから、

本当に語学の得意な人の場合は、数ヶ国語を同時進行で

覚えていく方が、むしろ頭に残りやすいと必ず言われる。

でもなー。私にはやっぱり、それって、しんどい方法だ。

それでも四月になると、語学講座は第一回目に戻るから、

よし、はじめてみるか語学、という気持ちが芽生えてくる。

私の乏しい語学の植木鉢に、新しい枝葉が伸びてくれますように。

周りの植物がどんどん新芽を出し始めるのも、

たぶん私に影響するんだろう。

 

 

 

 

 

カモミールミルクティー

 

眠る前カモミールミルクティーを飲むと安眠できます。

いつも市販のティーバッグに熱いお湯を注ぎ、

牛乳を加えたものを飲んでいたのですが、

今年は、ホームセンターでカモミールの苗を買ってみました。

ここ数日で、ぐんと枝葉を伸ばし、今朝みてみると、

マーガレットに似た白い花がちょこっとだけ咲いていました。

(写真は、真ん中の植木鉢がカモミール)

秋になった頃には、花を摘み取れるほどに繁殖していたらいいな。

虫にも負けず、酷暑の夏を越してくれますように。

 

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町の中に佇む・・・

小学生の頃、テレビで江戸川乱歩の

ドラマシリーズをよく観ていたなあ。

とくに好きだったのは「人間椅子」のお話。

椅子は人間の身体の形に似ている。

人間の形をしている訳ではないけれど、限りなく近い。

過去に坐っていた人の存在感や、

未来に坐るはずであろう人の予感やら漂う。

家具のなかでも椅子には特別妖しい匂いがする。

 

人間に近くて決して人間ではない。

そんなものを無意識の中で子供だった私は探していたのかも。

人間の形として、この世に生まれてきたばかりの頃。

雨の水滴の一粒ひとつぶにも形があって、

窓ガラスの上を、つーと流れ、やがては消えてしまう、儚さ。

それは子供心に芽生えた恐怖でもあった。

衣料品店のマネキンを見るのも好きだった。

高度成長期の頃のマネキンは、欧米への憧れから派手顔タイプが

流行していた。眼が大きくて睫が長すぎるほど長く、

鼻は矢印のように、つんと高く未来の方を指していた。

どこを見ているんだろうな、と町に佇むマネキンの視線を想ったりした。

 

最近は時代の流れなのか、あくまで服が主役、

マネキン自体を見せる印象が薄らいだようで、

なんだか私は物足りない。君だれ?って言いたくなるくらいに、

インパクトの強いマネキンが減ってしまった。

たとえば、ヒーローや人気俳優をデフォルメしたような蝋人形を作って、

展示してみるとか(著作権の問題でひっかかるかしら)

お祭り感覚で町自体が活気付くような、

なんかもっと面白いことをしてみたらいいのになあ、などと思う。

 

お墓参り

ご先祖のお墓参りへ。

天気に恵まれた。

もう夏の日差しを思わせるほどに暑いくらい。

入り口にある売店で花を買って、

急勾配の坂道を昇っていく。息が上がる。苦しい。

でも、なんか生きてるって感じがする。

墓地を取り囲む新緑のグラデーションが美しかった。

昔は、父と母と一緒に歩いた坂。

あの頃とあまり坂の様子は変わっていないが、

今では父がお墓の下にいて、

母は墓参りに出かけられなくなった。

これまでの長かった数十年が、あっという間な気がした。

この坂道の距離と同じくらいに。

 

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木陰の下のあずまやは、ずっと昔からここにある。

父がベンチに腰掛け、冷たいお茶を飲んで、「あー。」と言っていたなあ。

 

 

鳥の巣作り

リハビリ中の母が、窓から外を見て、

「なにか一生懸命に探しものをしているカラスがいたのよ。

なにを探していたのかしら」と言うので、

「ああ、たぶん巣作りのために、地面に木の枝が

落ちていないか探していたんだと思うよ」と答えた。

今、鳥たちの巣作りの時期だ。

キジバトも今年また我が家にやって来た。

塀に沿って歩いてみたり、庭に降りてはごそごそしている。

どこかに枝を重ねて巣を作りたいみたいだけど、

この間、私が枝の剪定をしたから、

以前のように緑の葉で覆われた良い場所がないだろうな。

それとも、我が家の小さな庭のどこかに見つけたかしら。

キジバトは公園などにいるドバトと違って野鳥だけれど、

人間を怖がらない性質で、わりに低めの木の枝にでも

いくつか枝を重ねた後(結構おおざっぱな作りに見える。。。)

卵を産む。人間が近づいても抱卵し続ける。

ただ、この辺りは、すばしっこいイタチがいるからなあー。

昼間ご近所を散歩していたら、長細い身体のイタチが

ととととと、と目の前を横切っていくのを先日も見かけたばかり。

雛が生まれても食べられてしまうかもしれない。

もうすぐ、ゴールデンウイーク。

フリーランスの私にとって平日や祝日はあまり関係なく過しているし、

どこか遠くまで出掛けられる訳でもないので、

部屋の模様替えなど、あれこれ考え直してみますか。

梅雨のシーズン前に、カーテンを洗うのもいいな。

鳥たちは忙しく巣作りのために空を飛び地面を歩く。

この頃、そんな様子に影響されて、なんだか私まで気ぜわしい。

ひとすぢの髪

 

差入の本に見いでた

ひと筋の

ながい髪の毛に

本のよめぬ日

 

見おぼえのある髪ゆゑに

そのこころを

押しはかり兼ねて

窓に眼をやる

 

指ひとつ

ふれず別れた__

唯ひとり

残された俺は

それどころぢゃなかった!

 

いつまでもぶじでと言はれた

翌朝に

ドジふんだ俺を

苦笑している

 

ござの部屋を

ぐるぐる廻りまた坐る

この恋の是か非を

考へ抜かうと

 

その頁を

ひらきたるまま夜となり

髪の毛はそっと

便器に棄てた!

 

    (「短歌評論」第三巻第二号、昭和十年二月号)

夕飯

我が家は夕餉の時刻が早い。

だいたい4時くらいから準備し始めて、5時頃には頂く。

母の通院・リハから帰ってくる時間にあわせていたら、

いつの間にか日々のサイクルが変化していた。

私も、中年になりまして若い頃より太りやすいので、

夕食の時刻を早めるのはダイエット方法の一つにもなるらしい。

   

ちなみに、この日の夕食メニューは、

野菜たっぷり麺少なめの魚のそぼろ入りスパゲティ。

他には、サヤインゲンを茹でたもの、ポテトサラダ等。

デザートは市販の夏みかんゼリー。

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献立は、昨日の夜にジャガイモの煮込みとして食べたものを、

冷蔵庫から出し、一度火を通して(じゃがいもは、いたみやすいので)

熱々のところをマッシュして、マヨネーズ、お酢などで味付け。

リメーク料理しながら作らないと毎日大変なので。。

サヤインゲンは、ご近所をウォーキング途中、

農家の軒先で無人販売されていたのを買ってきた。

一袋たっぷり入って100円でお安く、柔らかくて美味しい。

採れたての筍も唐辛子とかつお節、お醤油等で煮て、

春の食卓らしくなった。

美味しくごはんを頂けるのは、ほんとうに幸せ。

体調を崩し食欲がなくなったら、ごはん食べるのさえ

つらい仕事になる。義務感から食べないといけなくなる。

そんな思いが長年続いたから、普通の食卓であっても

とても贅沢に見えてくる。

画面を観ながら

博多駅ビル内を、エスカレーターで移動して、

フロアのなかを眺めながら歩いた。休憩するため、

ベンチに腰掛けると、「ライジング岡村サン」と題されたDVDが

流れていたので、直して頂いたばかりの眼鏡をかけ、

周りで立ち止まっている人と一緒にしばらく観た。

エグザイルのコンサート会場に警備員として紛れ込んだ

ナイナイ岡村がステージに昇って踊り出す。

私は個人的に岡村さんのファンではないけれど、95才まで生きた

母方のおばあちゃんが、療養中、テレビで姿を見ると必ず笑っていた。

ほほ、おかしかね、と笑顔になって、私もつられて笑ったのを思い出す。

あの頃から比べると、岡村サンはすっかり中年体型になり、

それでも、あのコメディアンとしての身体の天性の動きは健在なり。

私にとって、おばあちゃんの病状を心配していた時期と、

おかむらさんはシンクロするのである。

 

母方の祖父には私は会ったことがないけれど、母の話によると、

紅白歌合戦を毎年観るのが楽しみで、しかも決して寝ころんだりせず、

終始きちんとした姿勢で聴き、歌手が出てきて歌い上げた後には、

机の上に自分で用意した紙に○とか印を付けて審査(?)していたとか。

日頃の疲れを癒すため、歌を聴きながら、だらっとすればよいのに。

と私は思うけれど、それが祖父なのだろう。

それで、服装などは、いつもきちんとしていたのかというと、

まるで構わない人で、自宅で過ごすときは着物に帯を締めていたが、

次第にほどけ、そのままにして廊下に帯を垂らし、ずるずると

引きずりながら歩いている様は日常のなかの父らしい姿なのだそうだ。

学者だったから張り詰めた形が基本の心のあり方で、それは私には

到底理解が及ばない心理状態だけれど、そういう話を聞くと、

緊張のなかの弛緩を見聞きしたようで、私は、そんな昔話に、

ほっとしてしまうのだ。

 

 

 

 

眼鏡

 

眼鏡が壊れたので、博多駅ビルに移転したお店まで、

これから出かけて修繕をお願いしなければ。

でも天気予報では午後あたりから、

西日本は春の嵐になる予定で、早めに帰ってこないと。

昔、近所で飼われていた犬(雌)が、ときどき抜け出してきて

我が家に遊びにやって来て、私が眼鏡をかけているのを

見ると、ふふふん、と笑った後、いきなり、

かぷっと口で眼鏡の蔓をくわえて私の顔から眼鏡を取って、

庭にえいっと放り投げられたことがあったなあ。

私にとって眼鏡は持ち物のなかで高級品だ。

わあーなにするんね!と犬に怒ったけれど、本人(本犬)は

顔に何かついているから取ってあげたつもりみたいだ。

価値観の違いって、むずかしいし、また、楽しいものでもあるなあ。

なんて、言ってないで、早く修理してもらいに出かけないと。。。

外を歩いて

根をつめて資料をみていたので、

両方の肩が岩みたいに、がちがちになった。

腕を上げようとすると、うぐぐ、と声が出る。

今のところ曇り空、天気が崩れる前に、

なるべくたくさん外を歩いてこよう。

空の下を歩くと、いろんな力を授かるのだ。

近所の神社の木立の横を通ると、すうっと疲れがとれる。

どなたかと立ち話するだけで、気持ちの向きが角度を変える。

外の空気を吸えば、今この時間を実感する。

たとえば、電話するときだって、部屋の中からと屋外とでは声の調子が

ちがってくるように、文章を綴るのも似たような現象が起きる場合がある。

逍遥して机に向かえば爽やかな空気感が取り込まれやすくなる。

時計の針みたいに

人生とは、なんて、えらそうに私が言えないけれど、

この頃感じるのは、20歳くらいで一周りして、今なんとか

二周りめの中盤入った感覚がある。

人間の体内には、そんなサイクルが本来備わっているのかも。

前進というより、時計の針みたいに、ぐるーとまわって、

同じ場所にまた辿り着いたような気がする。

でも初めて廻ったときとは、違う風景が見えてきたのに気付く。

それが、とても、とても、ありがたく、生きていてよかったんだな、

とも思う。私の十代二十代は、時計の針が12時を指せば、

明日になって、新しい日が来る、という感覚で世の中が

動いていたけど、今は、明日が来ているのか、昨日は、

ほんとうに去っていったかも、よく見えてこないのかもなあ。

そんな時代のなかで、私はただ、一本の軸になって、

これからも、ぐるーと廻っていくだけなのだ。

しっかりしなければ

日曜日は詩人・各務章先生を偲ぶ会でした。

沢山の方々が集われました。

会場に入ると、柔らかな空気が流れているのを感じ、

これは、なにだろう、と私はずっと考えていました。

生前の各務先生のお人柄が、その場の空気をそうさせるのか、

それとも、各務先生が信頼された方々に後を託した、

そのお気持ちがあの場に静かな小川のように流れていたのか、

まだ私は、はっきりと分からずにおります。

各務先生のあとを継がれる方々は、さまざまな分野におられ、

それぞれに、とても立派な人ばかりです。

先生の残されたものは大きなこと細やかなものまで

今も変わらず脈打って、しっかりと生きています。

私は涙もろく大泣きしてしまうので、会場では泣かないようにと

心に決めていましたが、それだけはきちんと出来ました。

 

台所に立って食事の支度をしながら、まな板の上で包丁の

刻む音が遠くに聞こえていたり、私は頭がぼんやりとして、

亡くなられたことが信じられずにおります。

そんなことをお話すれば、きっと先生から、

しっかりしないといけませんよ、と叱られるでしょう。

各務先生から頂いたお言葉をかみしめながら、

眼の前のことを一つひとつ、たいせつにし、

毎日を過していきたく思っています。

ウォーキングの道で

朝のウォーキングでは、道行く人もまばらで、

信号待ちしている人は一人で体操していたりする。

朝ならではの光景だ。

それで私も腕をぐるぐる廻して歩いてみる。

この頃、ツツジが美しく咲き始めた。

淡いピンクから燃えるような濃い赤と、花びらの色はさまざま。

低血圧なのが治りそうなくらいの生命力溢れる、赤。

いつもの舗道が、色鮮やかに染められ気持ちまで明るくなれる。

造花

ご近所の桜の木々は満開の後、葉桜に姿を変えつつある。

町をウォーキングしていると新緑が瑞々しく眼に眩しい。

お店に入って坐った窓辺に洒落た植木鉢が置かれてあった。

外との視界を丁度よく遮り落ち着く。よくみると造花だった。

窓の向こうには、植樹された本物の木が風に揺れる。

私の坐っている場所からは、造花と本物とが、バランス良く

視界のなかで混ざり合い、居心地の良さを作っていた。

「造花は嫌い、生きた本物でなければ」と口にする人は多い。

私だって、可愛らしい植木鉢を見つめたら、作りものだったので

一瞬がっかりしたのは確かだ。でも、造花には造花の役割がある。

生花より劣る存在ではないんじゃないかな。

そこに、その時間に、その植木鉢があったから、私は

肩の力が抜けて、ほっとした瞬間を手にしたのだから。

作り笑顔、といえば、虚構だとか贋物のような印象だろうか。

けれど辛いときほど嘘でも笑っていれば、

顔の筋肉は笑う動きを覚え、やがて自然と笑顔になってくるのだ。

そうやって生まれた笑顔は造花でありながら生花にもなり得る。

どちらかの区分をする必要性はないように、そのとき思った。

ノルディック・ウォーキング

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母のリハビリ仲間の方が使っておられて、

初めて知った、ノルディック・ウォーキング。

普段はスポーツ用品として販売されていますが、

母の場合のように、歩行のための補助的な役割として

愛用する人も現在少しずつ増えているようです。

いつもお世話になっている看護師さんに、

母が使ってもいいか、ご相談して、

お医者さんに許可を頂いて、先日、ネットの通販で購入。

母の場合、小柄なので身長に合うウォーキング・ポールは

数が限られてきます。高さの微妙な調節が出来るものを

選んで、使い方・歩き方はネットの動画で確認。

杖と違うのは、まず両手に2本のポールを持つこと、

RとLの表示がされ、右手用、左手用があって、

持ち手の部分は真直ぐなこと(上に親指を乗せた形で持つ)。

まだ慣れるまで足とポールの出し方のタイミングが結構むずかしい。

しばらくは自宅の廊下を往復して練習してから、

4月から5月くらいの気候のよい季節のうちに、

近所の公園を私が付き添い外を歩けるようになるのが当面の目標。

雨降り

朝から雨が降り続いている。

(天気予報によると大雨になるらしい)

昨日、朝の道を歩きながら、若葉繁る木々たちが

一斉に空を指差しているかのように見えていた。

 

今朝は、空から雨が地面に向かって縦糸を伸ばすように降る。

天候に私の生活は左右されつつ、気持ちも上向きになったり、

下向きになってみたりしながら、それも自然の流れのうちと思い、

今日も一日を過していきます。

朝のウォーキング

朝7時前のウォーキング。

東の空に、朝陽が雲にかくされながら広がっていく。

(写真をとっていたら、ちょうど一羽の鳥が向こうからやってきた)

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ゴールドとシルバー、二段重ねの朝の空の色。

 

転々と

 

場末街__

考へをまとめようとゑらび這入った

カフェーのまひるの

紅茶のぬるさ

 

いくつかの住所リストを

思ひうかべて

どこにゆかうかと

煙草をふかす

 

乱痴気の夜毎の酒の

匂ひ饐えて

まひるしづかな

カフェーに頭痴かく

 

あわてたるままに

二階の押入れに忘れてきた

インプレコールは_________

どうなることか

 

さわがしき

ビルディング街の午後に来て

中学の友に

申込む面会

 

 

スマートな背広着た友は

眼を伏せて

ためらってゐる

_______「妻と、子供だ」

 

 

暗い路次を友と歩みて

後を托す

はるかなる空に

ネオンは赤く___

 

五銭のどらやき

買って別けつつゆく夜更

しっかりと手を

握って別れる

 

芸妓街をうろついて来たのよと

息はずませて

一気に語る

ひとまだ若く____

 

 

べコニヤの花を持ってきて呉れた

下のおかみさんよ___

ほほゑむ俺の

素性も知らず

 

 

どうせ、と言ふ

言葉が癖となって来た

この頃の俺の

会話をとがめよ!

 

 

ぶっとばす

円タクの隅に眼をつぶり

やがて来る停滞の

さびしさに襲はる

 

 

鉄筆のタコ柔かく

なって来た

指をみてゐる

郊外の朝風呂!

 

 

小便の黄なる色みて

朝かなし

ゆうべ見た夢は

支那の銃殺! 

 

 

どやどやと

階段を駆け上がって来る音に

はっとめざめて

蒲団をかぶった

 

       (「短歌評論」第三巻第一号、昭和十年一月号)

昭和生まれ

いつ頃から昭和時代という言い方が定着したろう。

平成になったばかりの頃にはまだ、昭和にそのまま時代という

言葉をつけるのは違和感があった。昭和生まれ、昭和時代に

育った私は、物事や人を評価するのに用いる物差しが

いつまでも昭和の古いものを使っていやしないか、と時折、

不安になるときがある。ガクレキ、ヘンサチ、なんていうのも

昭和の価値観に近いだろうが、私たちの若い時代には、

男女問わず、それで人間の重みまで決められた。

測りにかけられて、はい何グラム、みたいにね。

くだらなかった、意味が無かった、とけなすのは容易い。

けれど、そのなかで、大人も子どもも、ひっしで、

がんばってきた人の汗や涙は、うそじゃなかったろう。

一昔前には、こうやって人間の価値を決めたのですよ、と

アンティークとしてガラスケースの中に飾っておくべきじゃないか。

敢えて肯定もせず否定もせずに。歴史の一こまだったのだから。

昭和時代は地球の歴史から考えたら、数分前のことか、

数十分前のことか、それとも、数秒前のことか、

そのくらいなんじゃないかな

(私は計算が苦手なので、そのへんはっきり分からないけども)

古い人間だと、お思いでしょうが、なんて、私が口にしても

さまにならないし。

そのへん気にしながら気にしないで生きていくだけだなあ。

たぶん千年、二千年前くらいなら、今の人たちと、

昔の人たちとは、あまり変わっていないのだろうしね。

 

 

スズメバチの巣

只今、私は超多忙だ。庭木の若葉が

繁り始める前に、伸びきった枝の剪定に忙しいのだ。

冬眠から目覚めた動物が、枝をつかんでは何かしています、

みたいな感じで私は庭作業を続ける。

暖かくなって、またスズメバチの姿を見かけるようになった。

巣の場所を探しているのだ。繁った枝のなかは格好の場になる。

だから、その前に枝葉をすっきりさせねば。

スズメバチの巣が、まだ小さいうちなら、スズメバチがいないのを

確認してから、箒の持ち手のところで、えいと落としていたのだった

が、気付かないままに、巨大化している場合が以前に一度あった。

そのときは夢のお告げがあった。スズメバチの姿が夢に出てきて、

金縛り状態で、うなされて目を開いた。私の腕が、矢印みたいに

庭の方を向いていて。じぶんでも驚くほど凄い力が入っていた。

どうもこれは、なにかあるなあ、と感じて、腕の差していた方角の

庭を偵察するように見てみると繁みの陰に紛れて、

人間の顔よりも大きなスズメバチの巣が作られていた。

ここまで来ると、素人の手には負えない。

(スズメバチは獰猛なので、扱い方を知らない人が駆除しては危険)

すぐにネット検索して調べ、この地元で蜂の巣駆除を

しておられるところに電話連絡してお願いした。

忙しくて、あちこち車で廻っているが、今日中に伺いましょう、

とのこと、夜になって到着され、巣の在り処を聞かれ、

夜暗くてよく見えないので、巣の穴はどこにあったか私に

尋ねておられた。穴のある方向からスプレー式の薬を撒き、

取り除くまでは、あっという間に思えるくらい短時間だった。

夜なので、蜂たちは巣のなかで眠っているから、と話しておられた。

それなら安楽死に近かったかも、と私は思った。

ときどき、夜になっても巣に帰らないで、外をうろうろしとる奴が

おるから、そいつが明日の朝に帰ってくるかもしれん。

必ず巣のあった場所に戻ってくる。巣を切り取った跡の

平らになった表面に、薬を塗っておけば駆除になりますから。

と説明しておられた。まるで、だれか知り合いのことを話すように、

スズメバチの習性を解説される。

玄関先で料金を支払うとき、その人の目が周囲の光を集めるかの

ように、きらきらと輝くので、思わずじっと見入ってしまった。

ご本人には失礼な言い方かもしれないけれど、

昆虫の目みたいな光を放っていたように記憶している。

スズメバチの巣がなくなって、ようやく気持ちも軽くなれた反面、

スズメバチを知り合いのように話す、あの人の目が心から離れず、

人間もスズメバチも同じように生きているんだなあ、

と、あの日、食卓の椅子に坐り、しばらく黙り込んでしまった。

燕が鳴いてる。燕が飛来して巣作りする季節になった。

やがて訪れる初夏のきらきらとした太陽の光に、

もし音がするのだとしたら、燕の鳴き声が合うような気がする。

私の場合は町を飛ぶ鳥に興味を持つので、

そう思ってしまうのだろうけれども。

 

子どもの頃、こんな昔話を本で読んだ。

雀と燕が、ある日、親の危篤を知らされ、

雀は着の身着のまま、すぐさま駆けつけたが、

燕は身支度に時間をかけ、お洒落などしているうちに、

到着が遅れて死に目に間に合わなかった。

その結果、雀は米を食べるのを許されたが、

燕は土のなかの虫を探して食べるように決められた。

それで今も燕は「土食って虫食ってしぶーい」と

鳴いているのだ、という。

 

このお話が伝えられた時代背景は定かではないが、

質素な生活がなにより良しとされ、

見た目より誠実さこそが大切だと教えるため、

雀と燕が対照的な例えとして出されたんだろう。

たしかに燕の風を切って飛ぶ姿は粋に見える。

 

 

 

雀たちが鳴いて

春の嵐が通り過ぎて、暖かで穏やかな春の日に戻った。

我が家の狭い庭では、雀たちが賑やかに集って鳴いている。

昔、卵の殻の活用法として、植木鉢のなかに栄養剤の代わりに置く、

というのを知って、それなら、と私は庭木の周りに料理で使った

鶏の卵の殻を置いてみた。そうしたら、ある日、

雀たちが我が家の庭で大騒ぎしている。母も異変に気付いた。

そのうち、一羽の雀が、ぴっ、ぴっ、ぴっ、と警報のような声で

力強く鳴き始めた。まるで、非常事態のときに機械から聞こえて

くるような、人間が聴いても、なにか起きたと分かるような声だった。

私が二階の窓から庭を覗いたとき、門の下の隙間を

大きな一匹の蛇が入っていくのが見えた。

あの雀は蛇がやって来たのを一定の地点に留まり、

逃げ出さず仲間に知らせていたのだ。

しばらく騒ぎは続いた。やがて、餌が見当たらず諦めたのか、

あとからそっと庭の様子を確かめると蛇の姿は消えていた。

私が卵の殻を庭に置いていたのが原因じゃないかと思われた。

その後すぐ、卵の殻を拾い集め、

二度と庭に置くようなことはしないようにした。

雀は、ちゅんちゅん鳴いて、田んぼの米を食べるのは困るが、

小さくて可愛らしい印象だけれど、あのとき仲間を助けようと

懸命に鳴いていた雀は、ほんとうに力強くて勇敢だった。

春の嵐

昨晩から、春の嵐。まだ雨、強風が止まないので、

自宅の雨戸は閉めたままにしている。

家のなかも外も薄暗いため、今何時なのか、

ぼんやりしていると分からなくなってくる。

こんなとき、じぶんが何歳なのかも忘れていたりする。

この頃、ブログに、ぶつぶつと私は年取ったのなんだのと

書き過ぎたわー、と反省している。

皆様のおかげで、ここまで生きてこられて、

ようやく成熟期に入れたことを感謝せねばならないのに。 

                     

ブログを綴る習慣をつけてから、いちばんよかったのは、

じぶんが住んでいる場所、土地に愛着が湧いてきたこと。

震災が起きてからはなおさら、町の写真を撮っておきたいという

気持ちが強まった。遠くの街で、ブログを観てくださっている方も

おられるので、これからは福岡の街の写真をなるべく増やしていけたら

いいなと思う。そのためには私も元気でいなくては。。。

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