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猫ちゃんも寒そう

Cai37xcb

ウォーキングの途中で出会う猫ちゃん。布を敷かれた箱の中で

丸くなって眠そうにしていたので「起こしてごめんね、眠い?」と聞くと、

「ネムイ」と返事した。人間の声をよく聴いてよく返事をする。

砂浜に作った溝のように

風邪をこじらせないよう、しばらくじっとしていた間、

これまでのことを静かに振り返り、内省する時間にもなった。

私の心の道筋みたいなものを辿ってみた。

普段の生活習慣から、仕事するときの取り組み方について等々、

敢えてじぶんの長所も踏まえたうえで、短所はどこか箇条書き状態で

頭の中に並べてみる。なぜ箇条書き状態かといえば、自分の短所を

複雑化すると胸が苦しくなってくるからだ。単純に考えたほうがいい。

気付けば、すぐにでも改善できることがいくつか数えられる。

心の道筋は海の砂浜に手で掘って作った溝のように、

本人が心から変えようと思えば、意外と作り変えるのはむずかしくない。

そんなイメージトレーニングをすると、変えられるような気がしてくる。

 

北京の印象(一)

 

三民主義いまは軛となり果てた

反動の古都の

土をまた踏む

 

あすは英国公使館に罷業起すと

昂然と語った

男女ら、いづこ

 

五、三十

波立ちさわいだあのころの

楼門の太字は

削りにけづった!

 

いまはただ

臥薪嘗胆の偽文字が

ゴー・ストップの角燈の硝子に----

                  

剃刀のごとき男だったと云ふ

三田村四郎も

ここの広場で

手を振った筈!

 

傅単のぱっとまかれた興奮も

とほい回想の

青空にある

 

列寧(レーニン)、斯達林(スターリン)----

その名も曾ては早口の

支那語の中に

飛び出してゐたが

 

ある午後の

しづかな鉄路総工会で

何かしゃべったと云ふ

松岡駒吉も!

 

京漢線----

この皺深き老機関手は

あの血のゼネ・ストを

心裡に秘むるか

 

背に車輪----

がっくりとのめって斃れていった

先駆者の死より

既に十年! 

 

ボロディンのカラハンの叫びは

空しく消えたと

おもふ者はおもへ

北京大学!

 

マルコ・ポーロ道路を出れば

昔乍らの

北京飯店(グランド・オテル・ド・ベカン)は

傲然と突立ち----

         

                      

都市貧民の子ら

この公使館区域の片隅の

はき溜山でブリキをあさる

 

紫禁城----

黄ろき甕も照りはえて

アジア主義者の眼には映るか

 

呉佩ふの儒教の夢に

血と綱領を

興ふる者の

眼の底光り!

 

                       

 

合同歌集「世紀の旗」昭和十年五月二十日発行

音楽鑑賞

日曜日の長寿番組だったN響アワーが今年で終わるとのこと、とても残念。

生前、自宅療養中の父が毎週欠かさず観る(聴く)のを楽しみにしていたし、

母も椅子に坐って(途中から居眠りし始めるけれども)

毎週のように聴いていた。毎週夜9時になったらテレビをつけ、

心癒すため音楽を聴く習慣が出来、現在の解説者の方を、ニシムラ先生、と

母は通院でお世話になっているお医者さんを呼ぶときのような口調で

呼んでいたから、母もがっかりだろう。

 

もちろんコンサート会場で聴くときの、あの一体感は味わえないけれど、

冬の夜、暖かい飲み物など用意して、まったりと過すのは至福のとき。

母は椅子に坐り、私はホットカーペットの床に坐りストレッチしながら

聴くのが常で、猫ちゃんがいた頃は寝そべっていっしょに音楽鑑賞していた。

 

乾燥してがさがさしていた心に、クリームを塗り込んだみたく、

潤い、滑らかな気持ちにしてくれる。

詳しく分からなくてもいいのだ。猫ちゃんだって心から楽しそうだったもの。

人生のなかで、あとどれくらい、そんな音楽を聴ける時間を持てるだろうな。

 

父の形見で残されたCDをPCで聴きながら。

 

今、聴いているのは、ヨハン・セバスティアン・バッハ、

ヴィルヘルム・ケンプのピアノで。

 

 

 

テレビの効用

寒さから風邪を引いた。今以上に悪くしないよう、

たくさん休んで眠ったので、今日はだいぶん快復してきた。

風邪の症状として節々の痛み、筋肉のこわばりがあって、

テレビを観ながら自己流でマッサージして、コリをほぐして温める。

筋肉が固くなると眠りが浅くなって鮮やかな夢を見やすくなる。

日常の心配ごとが夢のなかで膨張して大袈裟になって夢に出てきたり、

なかでも、おかしかったのは、じぶんが凄く背が高く骨太になって、

しかも二十代の若さに戻って目の前に立ち、私を正面から見ている、という夢。

目が覚めてから、がばと起き上がり、なぜ、こんな夢を見たんだろう、と

しばらく首を傾げ、ダルビッシュ有をテレビで観たからだ、と思い当たった。

身長は2メートル位で少年時代には野球よりもバレーボールの選手に

なるつもりでいたとか、眠る前のテレビで聞いた情報が頭に残って、

そんな、実際はあり得ない、もう一人の私が夢のなかで構築されたんだろう。

夢枕に立つ、という言葉のように超リアルで、だれかに出会って帰ってきた

ばかりのような心持で目覚め、しばらくぼんやりしていた。

風邪を引くと、幻想の世界に簡単に迷いこんでしまう。

      

              

笑う門には福来たる、笑えば身体の免疫力がアップする。

なので、私は風邪ひいたなと思ったら風邪薬と、それから、

新聞のテレビ欄をチェック、お笑い番組を探す。

昭和のいるこいるさんの漫才は、母娘ともども大好きなので録画してでも観る。

若い頃には、漫才とは呼べないと厳しく批判されたスタイルが時代の変化に

よって若い世代にうけ再評価されたのだとか。おじさん同士の立ち話のような、

小さな話題が高齢化社会のなかで生きる悲しみにつながり、

ほのぼのとして見せながら世相を鋭く反映させる。

昔は風邪引きのときは、必ず水戸黄門のドラマを観るようにしていたが、

先日、最終回だったそうで残念だ。悪者をやっつけ、最後はめでたし、

ハッピーエンディング。先が見えていると馬鹿にする人もいるけれど、

プラス思考な心の道筋を作ってくれる必要不可欠なドラマだったと思う。

病院では、患者さんの横に置かれたテレビは、必ず水戸黄門と、それから、

お相撲は欠かせなかった。お相撲の番組は見た人の生命力を高めてくれる

かなり重病の患者さんで、テレビを観られない状態であっても、

家族の人たちが「時間になったらお相撲のテレビを付けてください」

とメモが書かれて台に貼ってあり、看護師さんがスイッチを入れて、

その人の名を呼びながら、お相撲はじまりましたよ、と声を掛ける。

患者さんは微かに頷いて、力士が懸命にがんばっている様子に

じっと耳を傾けている。動けない患者さんの生命力が、

力強い力士のように輝く時間。

横たわった身体から透明な焔がゆらりと立ち昇るのが見えるようだった。

今も変わらず、テレビは患者さんの治療にも役立っているはずだと信じる。

洗濯物干しもリハビリ

寒いですね。私はちょっと体調が良くないのですが、

なんとかだいじょうぶ、首に厚手のマフラーを巻いて冷さないよう、

(風邪は首、背中のあたりから引く、という一説あり)

家の事しないといけないし、とにかく寝込まないように、

無理せずがんばります。母も通院と自宅でもリハビリがんばっています。

洗濯物を干すのは腕を上に向かって伸ばすので立派なリハビリだし、

じぶんのことはじぶんで、のモットーで、数時間かけながら一枚いちまい、

洗濯物を干して洗濯ばさみでとめる、その姿は日常であって

私たちにとって非日常のような時間で、だいじょうぶかな、とその間、

私は緊張感さえ走ります。ようやく干し終わったとき、母は地球の裏側から

マラソンして帰ってきた人みたいにみえる。

家の事はつまらない仕事かもしれない。けれど、なにか壁が出来たとき、

その作業が出来ることの幸せを初めて知るのかもしれません。

人間にとって家の事がどんなに大切な仕事か噛みしめています。

柔軟性を持たせれば

昨日は底冷えした。台所仕事していたら足先が冷えて凍りそうだった。

足指をぐうっと丸めるように伸縮させ、また伸ばして、を繰り返し血を通わせる。

手足の冷えは良い事ではない。改善すべきだ。けれど手指が冷たいの

昔は「水晶のよう」と表現され、美人の条件として数えられた時代もあった。

女性の髪の量が多いたっぷりとした長い髪は「雲」のよう、と表現され

古代は美人の条件だったとか。今なら髪がもっさりしていたら美容室に行き、

バランス良く髪の量を減らしてもらうのが常識だけれど。

一般常識なんて、人が信じているほど確かなものではなく、あやふやで、

絶対と思われていることは一時的だ。これはこう、と答えをひとつにせず、

良い、悪い、と簡単に○×で決めつけないで考え方に柔軟性を持たせれば、

この世をもっと楽に生きていけるような気がしてくる。

じぶんにとって、これさえ無ければ、と思えるものこそ、

自分の支柱に変換できるのも文学の力だと思う。

 

強い寒気

強い寒気

強い寒気

東京は雪景色。
九州、福岡も今日は雪がちらついて寒い一日。

酒粕で和風シチューを作って身体の中から温める。

ウォーキング途中で見た絵

ウォーキング途中で見た絵
犬の散歩についてマナーを訴えるポスター。

春らしいイラスト。タンポポに力強さがあって、犬は獰猛な感じがでている。

承ります

 

どうもこの頃物覚えがわるくなったと感じて、

PCで検索したワードと説明をノートにメモするとき、

鉛筆の文字を大きくしてみた。

小さな文字で書くよりも、頭に残りやすいような気がする。

頭で覚えるっていうより、手(腕の動き)で覚えるイメージ。

私の周りにいた秀才のノートというのは大抵、共通して字が小さくて細かい。

活字かい!というくらい、きれいに書いていくので感心する。

母方の祖父は学者で、遺品として残されたノートや手帳を見ると、やはり、

細かくて緻密、うわーと思わず声を上げてしまうくらい細かい。

それに比べ、私のはあんまり知性的なノートじゃないけれども、

なるべく覚えていたいから、大きな文字で書くことが多い。

何のノートと分けずに、英単語とか人名とか、調べた順に書いていく。

つまり、私のノートは気楽なノートで、一言でいえばおおざっぱなのです。

でも、このやり方だと持続しやすいという利点は確かにある。

 

中3の頃、国語の時間に「承」が新出漢字に出てきて、 

承ります、と先生が黒板に書き、気をつけてくださいね、承の後、

「ります」だけでいいのよ、承「わります」、とか、承「けたまわります」

みたいに書かないでね、と教えられ、他の子は普通にノートに書き留める

のに、私は、ふうん、でも、いつも通る道の和菓子屋さんのガラス戸に、

承わります、て毛筆で和紙に書いて貼ってあったなあ、と思い出し、

わ、が入ったほうが、美味しそうに見えないかな、ほら、わ、って、この丸みが

まるで和菓子みたいに見えるじゃん、などと、いろいろ考え出し、

でもなー。こっちが正しいのかあ、承ります、とノート1ページ分丸々使って、

和菓子屋さんの張り紙の真似をして正しく書いてみた。

それを授業中しばらく眺め、うーん、もっとふっくらした感じの文字の方が

美味しそうに見えるかな?と考え、次のページを捲って、また、

承ります、と1ページ使って鉛筆で書いてみた。ふうむ、どうだろうね、

和菓子屋さんの張り紙は字は上手じゃないかもしれないけど、

美味しそうな文字だったなあ、思わず注文したくなるような文字だった。

やっぱり和菓子を作っているから字も美味しそうになってくるのかなあ、

と、あれこれ考えを巡らせ、国語の時間に一人お習字の分野にまで飛んで、

腕組みしながら、私はすっかり和菓子屋さんのご主人になった気分で、

自分の書いた「承ります」を眺めてたら、隣の同級生の視線をふと感じた。

「え?なに?」という顔をしたら、「ふみさん、へん」と言われた。

「ああ今ね、和菓子屋さんになった気持ちで書いてみたの」

と正直に説明したら、黙って顔をしかめて怒ってた。

もう、ふみさんたら、なんでそんなことするかなあ、みたいな顔をしてた。

その子は今、お医者さんになってがんばっている。

私は秀才のノートとは程遠いが、お芝居や物語に関わる仕事には

きっと向いていたと信じている。

 

 

畑に立つ…

畑に立つ…

立入禁止


足をけがします。

思いやりも
大切だ。

直売所入口

直売所入口
博多座でお芝居があるのだな。
僕は死にましぇん貴方が好きだから。


若い人は知らないだろうな…。

農協直売所へ

農協直売所へ
じょうもんさんとは博多弁で、よか女てこと。

春近し

春近し
畑が広がってる。風は冷たいけど、ぽかぽかと日差しが背中に暖かい。

着いた!室見川

着いた!室見川

階段を上れば

階段を上れば

お昼

お昼
ウォーキング途中立ち寄ってパンを買う。

ウォーキングに出掛けます

ウォーキングに出掛けます
お天気なので、いつもより長距離頑張って歩いてみます。

ランドセルの色

私のウォーキングコースは、子供たちの通学路でもある。

歩いていく子どもたちのランドセルの色が様々なので感心してしまう。

オレンジとかブルーとかシックな茶色とか、好きな色をチョイスできるのかあ。

性別で区分されるより自然な感じがして私は好印象。だって、これから、

その子が持っている良いところが徐々に分かってくる年頃だものね。

なんで初めから二つに分けちゃうんだろう?私は単純な人間だけど、

あまりにも簡単に分け過ぎじゃないかと子供心に憤りを感じた。

昔は男の子は黒、女の子は赤、と二色に限定されていたからね。

なんで色が決まってるの?とぶつくさ言いながら赤いランドセルを背負った。

男の子、女の子、と識別マークを背中につけてるような

恥ずかしさとか不自然さとか違和感を持ちながら小学校入学した。

 

シナリオライターや小説家の人は、もちろん見た目は男女の区別が

つくけれど、中身は混ぜこぜ(という表現は失礼かしら)で、

男心、女心どちらも分かって、年齢がまだ若くても年を重ねた人のような面も

ある。(前世の記憶が残ったまま生まれてきたのかと思うような人もいる)

だから、永遠の少年のような人、なんてのはごく一部のことに過ぎなくて、

赤ちゃんみたいで、おじいさんおばあさんのようでもあって、

真面目だったり不真面目だったり、現代人であって古代の人になったり、

その人の中身がアソートボックスみたいに出来るだけいろいろ入ってる方が

仕事するには有利だし、むしろ必須条件ともいえるのだ。

付き合う方は、一体この人は何なのだ、とたぶん戸惑うだろうし、

本人も、自分って誰なのだ?と、ちょっと混乱するかもだけど。

 

 

 

 

 

 

猫ちゃんもう一匹いた

猫ちゃんもう一匹いた
人懐っこい猫ちゃん箱の中にいて、怖がりの猫ちゃんがそばにいた。

未来の時間

食材調達のため近所のスーパーで買い物し、

レジで支払いした後、マイバックに品物を入れていたら、

私と向かいあう形で、小さな女の子が立っていて買い物した品物を

手にとり、何かぶつぶつ言っている。周りに大人はいないから、

一人で買い物に来たみたいだ。「・・・28円も安く買えたわ」

「しばらく待って、やっぱり正解だったわね」などと微笑を浮かべ喋り続ける。

品物を手に取る度、はっきり聞き取れないくらいの声で、

自分がチョイスした品物について自信を持ち満足げに何かを語る。

その口調はまるで大人で、私は思わず、その女の子に目が釘付けに

なってしまった。10才にも満たないだろうに、すっかり一人前の主婦感覚だ。

ほんとうに安く買えたのか、それともいつも母親の話し方を聞いて、

真似ているだけなのかは分からないけれど。

 

店は人員削減もあって、レジのいくつかは忙しくない時間帯には

閉めてある場所があり、誰も居ないレジを見つけた小学生の男の子二人が、

さっと店員側の方に廻り込んで、レジを通す真似をしてみせる。

きびきびと身体を動かし、口で、ピッ、ピッ、と言いながら

バーコードを通したふりをして、楽しそうに顔を見合わせて笑う。

お店の人に怒られる前に、たたたっと小走りに去っていく。

 

子どもは大人たちの中に混じり、仕事を覚えていく。

スーパーの店内で見かける、こんな子どもたちの姿も、

ある意味、習い事のひとつじゃなかろうか。

月謝を払わなくても、机と黒板が無くても覚えられるものは

この世界の中にたくさんあるだろう。

 

私は子供の頃、ほとんど習い事をせずに育ったのが、

ずっと、どこかで負の記憶になっていたのだった。

同級生たちは、ピアノ、お習字、バレエ、水泳、算盤、

いろいろがんばってた。私はといえば風邪引きで寝込んでばかり、

枕元にはラジオを置いて、比較的気分が良いときはスイッチを入れて

雑音の混ざった放送に一人じっと耳を傾けた。

まだ昭和の時代、父のお古を譲り受けたラジオは大きくて重たく、

真っ黒の四角形で、どしんと坐るように部屋に置かれていた。

横になったまま、ラジオの向う側にいる人たちを想像した。

放送を聴きながら、心が動いて、じわっと涙があふれる。

未来の時間を想っていた。

悔しさや夢や希望やら混ざり合った熱い涙が、

つーと丸い頬を伝わっていく。

いつか大人になったらラジオの仕事をしたい、と漠然と思っていた。

それは漠然としていたが今思えば強い願いだったのかもしれない。

            

子どもの頃に惹かれたものは、時を経て、知らず知らず発酵していく。

二十代の頃、フリーランスで放送用の原稿を書かせてもらえるようになり、

自分の部屋のラジオから初めて音になって聞こえてきたとき、

胸がどきどきして、涙が出そうだった。

今もあのときの気持ちを忘れず、仕事に取り組みたいと思っている。

 

 

 

 

 

1・17

1月17日の昨日、阪神淡路大震災から17年。

大阪にいた伯父さんのこと、そして、友人のこと、

あのとき心配したのが17年前とは信じられない気持ちでいる。

当時、被災された方々の声をテレビで聞く。

行政と市民の間の信頼関係がどんなに大切か、

東日本の復興に、あのときの教訓を生かすべきと祈るような思いだ。

 

また、昨日のNHKクローズアップ現代で、

「てんでんこ」という言葉は、津波が起きたら、

命を守るために家族を捨ててでも一人で逃げてゆけ、

というような意味で受け取られているが、

家族同士の絆が深いからこそ、「てんでんこ」が伝えられるのであって、

だれかの指示を待つことなく、小さな子どもであろうと、

各々が自己の命を自分で責任を持って一人で行動できる、

そんなお話を聞いて感銘を受けた。本当の家族の形だとも思う。

 

 

 

手袋

お正月過ぎてから、冬物の値引きを待って近所の店まで

ウォーキングがてら母の手袋を買いに寄った。

女ですけん、本当は本人が気にいったものを選びたいだろうけど、

今の状態で母がお店まで出かけるのは、むずかしい。

私が母の好みを聞いてから出掛けた。

着脱しやすい(お洒落な形に指が細くなっていない)、

洗濯機で洗える(洗っても縮みにくい)性質の品を選んだ。

リハビリに自宅と病院を往復する間、移動中は外気に晒される時間もあって、

母の防寒具は必需品だ。もともと母は南国に住むはずの体質なんだそうだ。

祖母(母の母)は熊本・天草で生まれ育ったから、その体質を受け継いだ。

暑さはなんとか耐えられるが寒さに弱い。

あんたはもっと暑い場所で暮らせば、耳鼻科に罹らなくても済むだろうね、と

昔、耳鼻科のお医者さんが笑って、そう言われたことがあった。

なにもかも、ちょうどいい場所で生きられる人なんてごくわずかだろう。

(そんな人がいるかなあ?私はまだ会ったことがない)

居心地の悪さを感じたら、この気持ちをどうしたらいいだろうと工夫する。

それを繰り返しながら自分らしさが生まれるのかもしれないなあ。

猫ちゃんこんにちは

猫ちゃんこんにちは
はじめましての猫がいた。

これから歩いてきます

これから歩いてきます
頭と足に血液がよく巡るよう、ウォーキングしてきます。

贈り物

私は贈り物するのが苦手だ

なにをあげたらいいか分からない

女の人というのは 大抵

これっていいのよ すごく美味しいの

そういった台詞を添えて 渡してくれる

私はそういうのが苦手で 若い頃には他の女友達を真似て

練習するように口に出してみたりもしたけれど

そのあと 口の中が酸っぱくなる苦くなる

猫からの贈り物は 好みが合う合わないどころじゃない

猫は どこで拾ったのか何か動物の骨をもってくる

我が家の玄関先に置いて帰る

猫の贈り物が続いたのは私たちが大変だったから 

父が倒れたときに病院に夜中まで付き添って

猫がいつものように夜にやって来ても

私たちはおらず いつものように扉が開かないので

猫は贈り物を持ってくるようになった

骨のほかに ネズミ しかも 少し齧った後のネズミ

病院から帰ったら ほの暗い玄関先で それを見つけて

心のなかで きゃーと小さく叫ぶ

猫にとってご馳走なのだ ディナーコース3万円券くらいの

それとも もっと価値のある 家族と認める儀式だったか

心のなかで きゃーと叫びながら 私は泣き笑いになる

育った環境が違う 価値観がまったく違う 舌の味覚も何もかも

違っているから 私は沈黙していた心が ぴょんと跳ねて

おどろきながら 笑いながら 少し涙も出ながら

そこが道だと思わなかった道を歩き始めていて

やがて 猫たちは姿を消し 父は亡くなり

振り向いたら おどろかされて 歩き始めた道が

月明かりに照らされ輝いている

あのときの贈り物が道につながっていた

それこそを感謝しなければならないのに 

おどろかされて涙が出た悲しさだけ 思い出してしまうのは

私の心が弱くなって止っているから 心の筋力が足りていないから

 

 

 

 

 

 

ちょっと気温上昇

 

今朝は下がった気温が少し緩んだ。

空では鳥たちが鳴いているし、犬も遠くで吠えてる。

寒いと、動物たちは黙っている。

ちぢこまって、無駄なエネルギーを消耗しないようにしてるんだろうな。

気持ちもちぢこまって、凍ったボールみたいになる。

でも、弾まなくなってしまったら、いけないなあ。

ボールが弾まないと、つまらないものね。

広い心をもって生きられたらいいなあと思う、新年。

 

夕焼け空

夕焼け空
歩きながら見た夕焼け。

体内のリズムを整えてくれる、
見る、お薬。

いつもより長く歩く

昨日は天気が良かったので、食材を買うため、いつもより長く歩いた。

いつもとは違う道を歩いて、いつも素通りする角を曲がる。

春の花壇を準備して植えられた花の苗が点線のように並ぶ。

もっと暖かくなったら緑いっぱいの上に明るく鮮やかな花が咲き誇るだろう。

新しいノートの頁が捲られるように景色がひろがる。

駅まで歩いて電車に乗り込み、車窓の四角の中に、

するすると流れていく景色を反物が広げられるように眺めながら、

あっという間に目的の駅まで到着。駅前のスーパーに行って、

食材をみながら献立をなんにしようか考える。そこのお店に入っている

お魚屋さんは腕がよく、安くて美味しいお刺身が手に入る。

母は生魚が駄目なので、軽く火を通して調理することにして、

お刺身を買う。食後のデザートに、いつもより上等のヨーグルトも買った。

買い物袋を手にさげて帰宅の途中、食材の調理の仕方をあれこれ思案する。

味付けはどうしたらいいかな。冷蔵庫の中にあったものは、なんだっけ。

次にする事で頭いっぱいになれば、嫌な事は、頭から、ぽこっと外に抜ける。

夜、眠る前に携帯の歩数計をみたら、これまでで私の最高記録だった。

困ったなあ

お元気な方は、じぶんより年下の人が

介護が必要だとか説明されてもよく分からないみたいだ。

私が介助しながら生活しているという意味も通じていないし、

新年の集まりに出て来い、とそればかり言われて、本当に無理なのが

分からないのだろうな。申し訳ありませんと私は何度も謝るしかなく、

本当に困った人だなあと思う。

体が不自由になって生活している状態が理解されない。

元気元気、それだけが生きる価値ではないのにね。

もっと動けるようになりなさいよとか、励ましのつもりでしょうけれど、

無神経な言葉だなあと思う。

母は日々厳しいリハビリを続行して頑張っているから、

今こうやって自宅で生活しているし、

それが、どんなに大きな努力か、なにも分からないんだろうな。

元気な人というのは、ちょっと問題児だなあ。

付き合いづらい、というか。私からみれば、元気な人ほど困った人だ。

元気な人だって、こうやって周りの人たちに迷惑をかけながら

生きていることには、気付いていないんだものね。

国境の町 大田遼一郎

獄を出て

国境・海辺の町に来て

やけつく砂に

身を伏す、今は----

               

海越えて

ここに来たことが嘘のやうな

錠前のひびきは

耳朶になほある

                  

満州国警備隊員

白馬にまたがり

アカシヤの林を

やけに走らす

         

               

避暑客に駆けまわされて

つひに海辺に

こときれた馬は

泣き伏す、農夫は!

 

白日の光は海に、長城に

ころされた馬に

泣きわめく百姓に-----

               

山海関

この風雲の町を驢馬に乗り

出しにゆく手紙は

づしりと重い

    

          

海はなぎ

実弾射撃の水煙

あがるをみてゐる

支那漁師等

 

筆耕の仕事ばからしくなり

海にいでては

砂に腹ばひ

ミーチンを読む

 

砂山に腹ばひてよむ

史的唯物論の

最新版にも

ときめく胸よ

       

         

アンダーラインの

赤き線をば強く引く

久し振りにみた

言葉の確かさ!

親戚、ご先祖

年末の大掃除に、アルバムの写真の整理をしていたとき、

数十年前のモノクロの親戚の集合写真のなかに

私にどことなく雰囲気が似ている人を見つけて、

うあっと心の中で声を上げる思いがした。

親戚だから、どこか似ていて当然なのだし、

驚く理由などないのだけれど。

顔かたちが誰かとそっくりというより、

親戚が集まって一枚の写真に収められたのを眺めると、

お互いどこか似ていて似ていないところもありながら、

もともとは、ひとつの卵から生まれてきた感じが、

ひしひしと伝わってきて、私も分裂したなかの一個だと

あらためて感じる。写真でしか観たことのない親戚やご先祖に

一度も会わないまま、でも、どこかで生活を営み、やがて

この世からいなくなった人たち。畳の上に写真をひろげて、

言葉もなく眺めていた。

              

お正月を迎え、アルバムは再び扉を閉じて部屋の棚に並べ、

私は日々の用事に取り組むのみ。でも、私の頭の中は年末、

過去に生きていた人たちの姿が新鮮に刻まれて、

なんだか力が湧いてきた。過去にいた人たちが、

今、励ましや癒しにつながっている。

「誰かと喧嘩するときには、その人たった一人だけが相手なのではなく、

その人の後ろにいる親戚や先祖もひっくるめて相手にする事になる。

それを肝に銘じるべきです」

という言葉(だれの言葉だったか?)が、いつも私は頭の片隅にある。

それは「短気は損気」という意味も含まれているだろう。

人は誰しも、一人でいても、いつだって一人ではないのだから。

 

ウォーキング

昨日、晴れていたので(空気は冷たいけれど)

日用品の買い物を兼ね、ウォーキングに出掛けた。

ひたすら、歩く、歩く、歩く。

そうしているうち、体はちょっと苦しいけど、

焦りや不安などネガティブな感情が焦点からぼやけて薄らぎ、

その代わり、信頼している人と一緒にいるときの気持ちに近いような、

安心感が何処からか生まれ、やがて胸の内にひろがっていく。

ウォーキングの効用のひとつだと思う。

 

 

熱いスノーマン

熱いスノーマン
お湯で茹でて何度も使えるカイロ。

あまり持続はしないので自宅にいるとき鍋で温めてハンカチに包み、

目、肩など患部にしばらくあてるとじんわり効き目がある。

年末年始は

グレーの薄い布で町全体覆われたような曇り空から

時折、雪がちらほらと降った昨日、古い木造の自宅は底冷えした。

新年になって昨日から母の通院とリハビリ再開。

年末年始には医療関係が休みなので、もしものときを案じる気持ちと

寒さのためか私はリラックスした気分になれなかったみたいだ。

今朝は少しばかり寒さも緩み、日も差し込んで、

ようやく今頃お正月が来たのを実感している。

そう思ったら、窓から差し込む日の光も、

新しくなった気がしてくるから不思議。

 

それでも今年は、綿入れ半天姿で防寒し、お正月のテレビを堪能。

年末の紅白は被災地の方々の応援という大きな目的があった。

原点に立ち戻り、視聴率のため奇をてらった演出等されず、

歌は人を感動させるもの、人を勇気付けるもの、

それが直に伝わってきて良かったと思う。

長渕剛さんは同じ大学の芸術学部の大先輩として、

若い頃から私もファンの一人として歌を聴いてましたが、

今回、まだ若かった頃の声に近いような真直ぐな歌い方に思わず涙。

年明けのウイーンフィルも良かった!耳慣れたワルツの音楽に身を委ね、

自然と体もスウィングしながら、私は残念ながらお酒は飲めないものの、

いい気分で酔ったような心持ちになれた。

私にとって緊張と弛緩がない交ぜになりながら、

音楽って、いいな、こんなにも心穏やかになれるのだ、

と、あらためて思えた年末年始であった。

 

移送の旅(二) 大田遼一郎

どことなく違ふところがあるらしく

一行を見る眼は

異様にかがやく

恐れても吾ら見送れる幾千の

中にふと微笑せし

顔を忘れず

 

車輪のひびきに打ち交りつつ

疳高に

吾らののしる声もしてをり

 

三年、五年あるいは八年の

刑を背負ひ

行くといふのに

笑ひさざめく

 

宇野に近きとある山間に

咲きてゐたる

桃に声あげ

吾らはしゃぐ

 

話し疲れていまはめいめい

エンヂンと

潮騒を聴きつつ

こころ通わす

 

(「短歌評論」第二巻第九号・昭和九年十月号)

昔に届いた年賀状

昔に届いた年賀状のなかで、今も思い出すのは、

今年の西暦を間違え、大きく手書きされたものがあって、

私は、アレ?とその賀状にしばらく目を留め、

「十年前になってるネ」と笑うと、

「その人はね、もうすぐ亡くなるんだよ」

と父が教えてくれた。

余命宣告をされた後、最後になるはずの年賀状を

今まで付き合いのあった人たちに出されたのだという。

文字はしっかりとしているし、説明を聞かなければ、

そんな心境で書かれたものとは気付かなかった。

     

「でも、こんなに字もきちんとしてるし、もしかしたら、

また元気になられるかも」と私は口にしたけれど、

桜咲く春を待たず、その人は他界したと知らせが届いた。

 

年賀状には、さよなら、の気持ちが込められていたのか、

それとも奇跡を信じておられたのか、

あけましておめでとう、の言葉には、いろんな感情が詰まっている。

 

新年を迎えたら

今は昔のお正月と違い、元旦から営業されるお店も沢山あって、

すぐ買い物が出来るのは助かる。昔は町に一軒しかなかった食料品店が

正月5、6日くらい張り紙一枚のお知らせで連続して休むので、

その間の食べ物や雑貨等、買いだめしなければならず母は大変だった。

私もまだチビながら荷物運びの役目で一緒に暮れの店に

ついていった記憶がある。もう買い忘れたものはなかったかしら、と

いつもより母は早口になり、店に行って帰ってきては、また店に行って、と

お祭りみたいに気が逸った。当時の主婦は大抵、買い物に行くのに徒歩か

自転車のどちらかで、寒空の中つっかけ履きで小走りに足音をさせる

お母さんたちは迫力があった。

 

今は遠い光景になって懐かしく思い出す。

子供達は、お正月には凧揚げもした。

私が子供の頃に流行ったのがゲイラカイトと呼ばれる洋凧。

男の子達に混ざって、私も近所の広い空き地で凧揚げしたっけ。

私が持っていたのは、目玉の付いていないシンプルな黄色のデザイン。

風の力が強くて掌が痛くて、手を離してしまいそうで怖くなった。

凧が小さくなっていく程、空の高さを測量する人のような気分になって、

空は何処まで続いてるんだろう、と自然への畏怖の念を抱いた。

凧揚げは男の子だけの遊びという定義付けが、この頃から崩れ、

女の子も数少なかったけど混ざっていたように思う。

まだ小さかったので、凧揚げをするときは傍に父がいて、

もう限界、と思ったとき父の腕が伸びてきて助けてくれた。

そんな時代もあったのに。私は、長い間ずっと忘れていたように思う。

 

お正月前に、庭木の手入れをしていたら、夏の蝉の抜け殻があった。

細い枝につかまって脱皮した後そのままに残って、何本もの足で

つかまえられていた筈が、風が吹いて、雨に晒され、やがて冬になり、

抜け殻は最後の足だけで細い枝に絡まっていた。

細い紐で枝に結ばれた、音のしない鈴みたいな形になって、

風にゆらゆら揺れていた。

抜け殻がいつまでも枝につかまっていなければならない理由は、なかろうに。

 

つらかったことかなしかったことは、抜け殻になって、風に揺れたあと、 

強い風に吹かれ、どこかへ吹っ飛んでいく。

抜け殻は私の形をしているが、

それはもう、私であって私ではないのだから。

                

新年を迎えたら、みんな新しい人になれる。

 

  

     

 

 

元旦

謹んで新春のお慶びを申し上げます

寒いお正月になりました。元旦、曇り空がひろがってる。

初日の出は拝めず、午後を過ぎてから近所を歩き、

急勾配の坂道を昇って見晴らしのいい高台に立つと、

見慣れた景色には霧がかかり、いつもなら見えるはずの

能古島、福岡タワーなど、微かにシルエットを確認出来た。

                    

おかげさまで我が家は静かなお正月を迎えることができました。 

                             2012年1月1日 

 

 

 

空を見上げて

空を見上げて

用事もなく歩く道は、それだけで贅沢な気持ちになれる。

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